無敵のヴィーナス/act3

 それからの何日間かをどう過ごしたか、あんまり覚えてない。気がつくともう、本庁での第一日目の朝だった。
 本庁の刑事さんらしい人を捕まえて刑事部参事官室の場所を尋ねると、親切に教えてくれたけど、「かわいそうになあ、こんなに若いのに」とか言われてしまった。……もー慣れました。
 エレベーターが下りてくるのを待っていると、後ろからコツコツという音が近づいてきて、わたしの隣で止まった。なんとなくそちらに目を向けて、わたしは息を飲んだ。

 ……わ。すっごい綺麗な人だなあ。女優みたい。

 隣に立ってたのは、わたしより少し年上くらいに見える女性だった。わたしより頭ひとつ分くらい背が高くて、スタイルが抜群。着ているのは黒いタイトなミニスカートのスーツ(よく見たらグッチだ)。こんなにバッチリ着こなしてる人初めて見たなあ。わたしはリクルートスーツの延長みたいな今のスーツすらイマイチ着こなせてないので、すごく羨ましく思った。
 こんなにスタイルが良くて顔が綺麗だったら、そりゃ何だって着こなせるよねえ。わたしはその人の横顔をまじまじと見つめた。ショートにした髪の色は明るめのブラウンで、髪質が柔らかそう。眉の線がはっきりしてて、その下の目はくっきりした二重瞼。睫毛が長くて、上向きにカールしている。高い鼻に、つややかな唇。なめらかな白い肌。――そういった細かいパーツそのものよりも、意思の強そうな瞳だとか、きりっと結ばれた口元だとか、そういった生き生きした表情がその人を魅力的に見せているようだった。なんていうか、華やかなのに知的で隙がない感じ。かっこいいなあ。
 と、不意にその人がわたしの方を向いた。見られてるのに気付いたらしい。まあそりゃ気付くよねえ、あんなにじいっと見てたら。ばつが悪くなって曖昧に笑いながら頭を下げると、その人はにっこりと微笑んだ。
 うひゃー。花が開くような笑顔って、こういうことなんだあ。
 
 エレベーターの階数ボタンを押すついでに「何階ですか?」と聞いたら、彼女はどうやら警視総監室とかがあるVIPフロアに用事があるらしい。そんなところに入れるのは、警察全体でもほんのわずかしかいないと聞いたことがある。すごーい、エリートなんだあ。
「あなた、もしかして刑事部参事官室に?」
 わたしが六階のボタンを押すと、彼女が聞いてきた。
「はい、今日からなんですう」
「ふーん……」
 今度は彼女がわたしをまじまじと見つめた。刑事部参事官室に、と言うと大抵の人は哀れむような顔をしたけれど、この人は反応が違った。綺麗な目に浮かんでいるのは、哀れみではなく興味。唇がちょっと吊りあがって、笑う形になった。何か面白いものを見つけた子供みたい、と、年上の相手に対して抱くにはちょっと相応しくない感想を持った。表情の豊かな人だなあ。エリートと言われる人って、もっとこうクールでロボットみたいな感じかと思ってたけど。
 不意に、頭の隅で何か引っかかる感じがした。けど、それが何なのかはっきりしないうちに六階に着いてしまった。わたしの方が先に降りるので、「それじゃ失礼しまあす」と言ってエレベーターから出た。彼女は軽く右手を上げて笑った。
「またあとでね」

 ……え?

 つい降り返った時にはもう扉が閉じて、エレベーターはさらに上がって行ってしまった。台詞の意味を掴みそこねて、わたしはしばらくそこにぼんやり突っ立っていた。



 一応ノックしてからドアを開けると、何人かがばっと勢い良く振り返った。ちょっと異様な雰囲気だ。慌てて敬礼する。
「あ、あの、本日付けで刑事部参事官室付の辞令を拝命しました……」
 言い終えないうちに「貝塚巡査!?」と声をかけられた。この声は聞き覚えがある。奥の方のデスクに座っていた人が立ちあがった。良かった、覚えててくれたんだ。なんとなくほっとしながら、わたしはその人に声をかけた。
「あー。お久しぶりですう、泉田警部補」
「一体何をやらかしてここに飛ばされたんだ?」
 うーわー。再会の挨拶でそりゃないんじゃないですかあ。
「知りませんよお。泉田警部補こそ、何やらかしたんですかあ」
「いや、まあちょっと色々あって」
 曖昧に言葉を濁して苦笑する。笑ってはいるけど、なんか深刻な事情みたい。詳しく聞きたい気もしたけど、今はやめておくことにした。それどころじゃないし。さっきわたしを振り返った人達は、わたしたちのやりとりを聞くと、どこかほっとしたような顔でまた自分のデスクに戻った。薬師寺警視だと思ったのかなあ?そんなわけないじゃんねえ。
「やあ、このお嬢さんも島流し組かア」
 今度は別の声がかかった。温和そうな感じの、50代くらいの男の人。わたしのお父さんと同年代くらいかな。捜査三課にいた丸岡警部だとその人は名乗った。
「やっぱり島流しなんですかぁ、これって」
「まあ、そうだろうな。しかしキミと言い泉田クンといい、若いのに気の毒なことだねえ」
「はあ……」
 若い、と言われたわたしたちは何となく顔を見合わせた。年齢は十以上も違うんだけど、この人からすればどっちも似たようなものなのかもしれない。

「気の毒って何が?」

 突然、後ろから朗らかな声がしてわたしたちは一斉にびくりとした。何だか聞き覚えがある声だと思いながら振り向くと、エレベーターで別れた女性がそこに立っていた。
「あ」
 さっきの、と言おうとしたとき、周りの人がさっと敬礼した。丸岡警部が言った。
「おはようございます、薬師寺警視」
「……へっ?」

 薬師寺警視?この人が?