無敵のヴィーナス/act1

 署長に呼ばれるのは、気が重い内容のことでばかりだ。張り込みに出た先で夜遊び中の中学生と間違われて補導され、あとで謝るどころか「もっと人材を選べ」と苦情をつけられた、とか。年齢や職業に相応しい服装を、と怒られたことが数回ある。わたしだってそうしたいのだけど、童顔のせいでぜんっぜん似合わないんだもの、しょうがないでしょ?似合わない服を無理矢理着たって、かえって浮いてしまって張り込みには向かないと思うんだけど、そこらへんどうなんでしょう。
 もっとも警察の制服を着てるときだって、なんかのコスプレだと思われて変なお兄さんに「写真撮らせて」と頼まれる始末だから、最近わたしは張り込みや巡回警備には出してもらえなくなった。アタマが固くて情報技術に疎いオジサンたちのために、署内のデータベースを整理したり、当然のようにされる要求に対してお茶を淹れてあげたりするのが最近の仕事だ。まあ、お茶はわたしだけでなく若い女子職員みんなが頼まれることだけど。
 おかげでパソコンには強くなったし日本茶には一家言があるくらいだけど、こういう技能って警察官として役立てられる日がくるのかなあ。日本茶はともかく(香港フリークのわたしとしては、どうせなら中国茶の知識を披露したいところなんだけど)、パソコンはちょっとしたSE並だという自負があるんだけど、今みたいに捜査にも関わらせてもらえないんじゃ宝の持ち腐れじゃない?趣味で覚えた広東語だって、ぜんっぜん役に立たない。
 こんなんでいいのかなあ。やっぱり企業に就職したほうが良かったのかなあ。香港に支社がありそうな企業。……でもそういう企業って、短大卒の募集なかったんだよねえ。
 まあそんな感じで、まわりから「のほほんとして見える」と言われるわたしでも、時々そんなことを考えてちょっとへこんでたりしていた頃、久しぶりに署長から呼び出しをくらったのだった。最近現場に出てないから、何も問題は起こしてないはずなんだけど。わたしは多少憂鬱になりながら署長のもとに向かった。



「薬師寺涼子警視を知ってるかね?」
 署長はいきなりそんなことを聞いてきた。
「いいえ、存じませんけどぉ」
「……そうか、君は警察官になってまだ一年くらいだからな」
 わたしの答えに、署長は何故かほっとしたようだった。警視ってことは、この署長とおんなじ階級かぁ。女性だから、多分キャリアなんだろうなあ。ノンキャリアの女性がどこかの警察署の署長になったとか、そんな話は残念ながらまだ聞いたことがないから。
 そんなことを考えていると、署長がその薬師寺涼子警視について説明してくれた。東大法学部卒のキャリアで、司法試験にも合格していること。語学にも堪能で、二年前からインターポールに出向していること。
「へー、すごいんですねえ」
 皮肉ではなく、素直にそう言った。いかにも才媛って感じ。きっとわたしと違って、バリバリ仕事できるし、させてもらえる人なんだろうなあ。
 わたしの感想に、署長はちょっと複雑そうな顔をした。オジサン達には、そういう有能な女性ってあんまりイイ感じしないんだろうなあ、とその時は思った。
 ところで、その才媛の話とわたしが呼び出された理由に何の関係があるんでしょう。
「薬師寺警視は来週、二年間の出向を終えて帰国する。帰国後は警視庁刑事部参事官の役職につくことになっている。そこでだ」
 署長はちょっと溜息をついた。――さっきから、この人の憂鬱そうな感じがすっごい気になるんですけどお。大丈夫ですかあ。それに、その哀れむような視線は何?

「貝塚巡査、君に本庁参事官室への転属を命ずる」
「…………ふぇっ?」

 思いっきりマヌケな返答をしてしまったわたしに署長が説明するには、参事官の交替に伴って、その秘書室とも言える参事官室のメンバーも一新することになっており、そのメンバーの一人としてわたしの名前も挙がっているのだそうだ。「本庁からの直々のご指名だ、君の才覚が認められたんだよ」と署長は言ったけど……一体、何の才覚なんでしょうか。そりゃパソコンはかなり使えるけど、署内の事務処理の手伝いばっかりさせられてるし、そんなの本庁の上の人に推薦してくれた人がいるとは思えないんですけどお。広東語だって、香港映画を字幕ナシで見られる程度には話せるけど、そんなこと知ってる人、ウチの署の他にいたかなあ。
 わたしの訝しげな表情に気付いて、署長がなだめるように薄く笑った。
「他のメンバーとして、本庁捜査一課の泉田警部補も挙がっている。知っているだろう?」
 あ、そういえば。
「他にも警視庁の精鋭が集まることになっている。そのメンバーに君が選ばれたことは非常に誇らしいことだ。私も鼻が高い。頑張ってくれたまえ」
 そんなことを言われても、いまひとつ不安が残らないでもなかったけど、どうせ命令には逆らえない。それに、薬師寺警視という人がどんな人なのかはまだよく分からないけど、泉田警部補はちょっと知ってる。あの人が一緒なら、結構働きやすい環境になるかも知れないなぁ。じゃあ、まあいっかぁ。

 というわけでわたしは辞令を受けて、来週から本庁に移ることになった。――来週?てことは今から残務処理とかしておかないといけないじゃない。どうせなら二週間くらい余裕を持って辞令を出してくれたらいいのになあ。
 自分のデスクに戻ってブツブツ言いながらも、どこか心が弾むのを感じていた。本庁に異動。しかも精鋭チームに。自分が精鋭だなんてまったく思ってないけど、それでも誰かがわたしの能力を認めてくれた、と思えるのは嬉しかった。

 ――そのときはまだ、そう思っていた。