サムライウィメン/act5

 涼子の電話で駆けつけた泉田は、由紀子がそこにいるのを見て目を丸くした。
「……室町警視、どうしてこちらに?」
 答えようとしたそばから涼子が口を挟む。
「あたしをストーカーしてたの」
「違うわよ!」
「冗談に決まってるでしょ。やあね、シャレのわかんない人って」
「わかりたくもないわ!!」
「……あの、すみませんが、お二人とも落ちついて下さい」
 この晩何度目になるか分からない口論に、泉田が慌てて仲裁に入る。そこへ、別の刑事が涼子に指示を求めてきた。本庁と連絡をとるためその場を離れながら、由紀子に鋭い視線を向ける。――牽制、かしら。"手ェ出すんじゃないわよ"って? そんな場合じゃないことくらいわきまえてるわよ。
 軽く睨み返しておいて、泉田に向き直り、手短に事情を説明する。泉田は眉間に皺を寄せ、何か考え込むような表情をして聞いていたが、由紀子が話を終えると深く溜息をついた。
「申し訳ありませんでした、巻き込んでしまって」
「わたしのことはいいの。……それより、泉田警部補」
「……はい」
「わたしが口を出す筋合いではないけど、いくら何でも彼女の好きにさせすぎじゃないかしら。捜査方法に問題がないとは言えないわ。それに……」

 少し離れた場所で次々と指示を出す涼子の背中に視線を向ける。まっすぐに伸びた背筋はいかにも自信に溢れている。彼女はどんなことでも決して他人の手を必要としない。少しでも彼女を知っている者は、誰でもそう思うに違いない。けれど……。

 涼子の背中に視線を向けたまま、由紀子はさらに続けた。
「そりゃ彼女は無敵に見えるかもしれないけど、だからって危険がないわけじゃないわ」
「……ええ、分かっているつもりです」
 由紀子に答える泉田の声が沈んだ。由紀子はそっとその表情を窺った。パトカーの赤色灯に照らされた横顔が、まっすぐ涼子に向けられている。本庁と何かやりとりをしている涼子の様子を見守っていた物静かな視線が、わずかに揺らいだように見えた。

 針で突かれたような痛みが、ふいに胸を襲った。微かだが、はっきりと認識できる感覚。

 この数ヶ月、何度も感じた感覚だった。庁舎内で二人を見かけるとき。彼に向ける彼女の眼差し、それが物語る彼女の想い。何気ない会話の端々に感じ取れる、互いへの信頼。
 ――そして、彼女の言動に呆れる様子を見せるくせに、それを見つめる彼の視線の、なんて温かく穏やかなこと。
 すでに他の人に惹かれ始めている人。由紀子が惹かれているのはそういう人物だった。

 何かを吹っ切るように大きく息を吐き出すと、泉田は由紀子に気遣わしげな視線を向けた。
「お怪我はありませんでしたか」
「ええ。大丈夫よ、わたしも彼女も」
「よかった」
 泉田がほっとしたように微笑んだ。部外者を巻き込んでは面倒だから、という打算ではなく、本当に彼女を気遣っていることが分かった。それは純粋に嬉しい。でも……。
「……でも本当に、わたしも今回は彼女のことをとやかく言えないわね」
 痛みを振り払うように、わざと明るい声を出す。
「え?」
「ちょっとスッとしちゃった。どうかしてるわね、こんなこと思うなんて」
 悪戯っぽく微笑みながらそう言うと、泉田は一瞬呆気に取られた表情になり、それから溜息混じりに苦笑した。
「朱に交わって赤くなってきたんじゃないですか。室町警視までそんな調子では困りますよ」
「そうね、気をつけるわ」
 肩をすくめて笑いながら、ひそかに願った。

 もう少しだけでいい。
 どうかもう少しだけ、彼女だけのものにならずにいて。

 本庁との連絡を終えた涼子が足早に戻ってくる。それに気づいた泉田の表情が厳しいものになった。意識してそういう表情を作ったのだと由紀子には分かった。
「話は終わった?」
「ええ、しっかり伺いました。……質問してもよろしいですか、警視」
「何」
「同窓会が終わって、ホテルを出たらすぐに連絡を下さる予定ではありませんでしたか」
「……そうね」
 いつになく厳しい口調の泉田に、涼子はややうろたえたようだった。どうやら涼子の行動は、捜査本部の当初の予定とはだいぶ異なっていたようだ。泉田が大きく息を吸い込んだ。
「どうして打ち合わせ通りに行動して下さらないんですか!!」
 涼子が肩をすくめた。彼らしからぬ大声に他の捜査員が振り返り、目を丸くする。――そりゃそうでしょうね。上司が、それもあの"ドラよけお涼"がどなりつけられる場面なんて、滅多に見られないでしょうから。
「あなた一人で捜査してるんじゃないんですよ! 責任者なんですから、もっと自覚を持って下さらないと困ります!」
「わ、分かってるわよ。悪かったわ」
 泉田の剣幕にたじろぎながら、涼子は慌てて謝った。
「……本当に分かって下さったんでしょうね」
「分かったってば」
 泉田は軽く溜息をついた。本当に分かっているのかどうかまだ疑わしいようだったが、これ以上はもういいと判断したらしい。それに、まだやらねばならない仕事がたっぷり残っている。
「それじゃ、一旦本庁に戻りましょうか。室町警視にも、もう少しご協力をお願いしたいのですが……」
「ええ、もちろん構わないわよ」
「ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げると、現場を引き上げる指示を出すために捜査員達のもとへ歩いて行く。それを見送りながら、涼子が呟いた。
「……あーあ、怒られちゃった」
「当然ね、反省なさい」
 冷然と返すと、涼子がふてくされた顔で睨みつけてきた。
「……ったく、余計なことしゃべって」
「本当のことしか話してないわよ、捜査協力だもの。あなたの捜査に協力したのよ」
「お説ごもっとも。ご協力どうもありがと」
 ぶっきらぼうにそう言うと、涼子はぷいと視線を由紀子から背け、泉田の背中に向けた。
「彼、心配してるのよ、あなたのこと」
「……わかってる」
 意外なことに、涼子は素直に頷いた。
「わかってるなら、少しは大人しくしてればいいのに」
「それとこれとは話が別」
 涼子の返事に、由紀子は呆れて溜息をついた。
「……ほんと、泉田警部補も苦労が絶えませんこと」
「いいのよ、それが奴のシアワセだから」
「あなたねえ……」
 返す言葉に詰まりながらも、由紀子は何となく納得してはいた。
 大人しくしててくれる方が絶対にありがたい。余計なトラブルを起こさず、規律を乱さず、他人を巻き込まず。そうしてくれるだけで、どれほど毎日が平和になることか。

 ……でもそうなったら、毎日はすごくつまらなくなるかも知れない。

 こんな考えが浮かんでしまうこと自体、もう彼女の術中にはまってしまっていることを意味している。苛立たしいけど、でもやめられない。――だからこそ、愚かにも学生時代からずっと、彼女と関わりあって来てしまったのかも知れない。無視しようと思えばできたはずなのに。

 ふと思いついて、由紀子は涼子に視線を向けて笑みを作った。
「そんなこと言って、油断してる間に奪われるかもしれないわよ?」
 由紀子の言葉に、涼子は一瞬目を見張り、それから唇をくいっと吊り上げて笑った。
「ま、頑張ってみたら」
「そうさせてもらうわ」
 笑みを浮かべたまま答える。涼子のからかうような視線が、真剣な眼差しに変わった。あの暗い裏通りで、暴漢と対峙したときよりも鋭い光が瞳に宿る。
「……へぇ、宣戦布告ってわけ? 面白いじゃない」
 涼子の戦闘意欲を刺激できたらしいことに、由紀子は奇妙な満足感を覚えた。

 関わりあって来てしまったのは、わたしがあなたを無視できなかったからだけじゃない。
 わたしにとってあなたがそうであるように、あなたにとってわたしも、意識せずにいられないライバル。そう言うことなんでしょう?
 ――それなら、とことん張り合うしかないわよね。

 遠巻きに、二人の様子を窺う視線を感じた。泉田の気遣わしげな視線も混ざっている。
「手加減しないわよ、後悔しないでね」
「こっちの台詞よ」
 同時にニヤリと笑いあうと、二人はパトカーの側に佇む泉田のもとへ歩き出した。



 ――いざ、尋常に。