薬師寺涼子の怪奇事件簿 外伝かも
1.参事官室外の怪異
「泉田クン、今晩どうせ暇でしょ、つきあってよ。」
あいかわらず彼女-薬師寺涼子-は部下にささやかな私生活がある事など念頭に無いようである。
ここで、暇じゃありませんよと言おうものなら、
『へー、泉田クンは上司に対する忠誠心が無いんだ。減点1ね。』
とか言い出すに違いない。全てを失うには私は若すぎるはずだ。
そういった考えを見透かしてか、彼女は机の上で組んだ手にあごを乗せてニヤニヤ笑っている。
おかげで返事は少し構えたものになってしまった。
「何でしょうか?」
しまったと思ったときは遅かった。
「ハッキリしなさい!暇なの?私とつきあうの?どっちなの!」
私はしがないノンキャリである。警視庁という組織の中で無事に定年を迎えたいと思うのは当然であろう。
「じゃあ暇です。」
これはささやかな抵抗というものである。
「そうきたか・・・ちぇっ。『じゃあ』は余計だけど、ま、いっか。」
何が ちぇ だ・・・。やっぱり何か企んでるな。
「さぁ、そうと決まったら出かけましょ。こんな所に長居は無用よ。先に降りてるわね。」
貴女だってこんな所に勤務されておられるのでしょう。むろん口には出さない。
そう思っている間に、彼女は参事官室から出て行った。
急いで私も自分の机の上の書類を片付けはじめる。近くでお茶をすすっていた丸岡警部がふいに話しかけた。
「お前も大変だな。まあ、これも修行だと思ってがんばてくれ。」
こんな修行は私の公務員生活には無用のはずである。断じてそうである。
そう思い顔を上げるとある文字が目に入った。 -勝てば官軍- 一気に力が抜けた・・・。
「そうそう、さっき室町警視から電話があったぞ。また電話すると言ってたが・・・。何かあったのか?」
丸岡警部が心配そうに私を見ながら言う。
最近は特に怪奇な事件もなく平和な毎日を過ごしている。もっとも過去にはいくつかの事件で室町警視にもご協力…いや、むしろ事件解決後の面倒な事を私の上司が押しつけたことはあったが。まさか今頃になって貸しを返せと言う人には思えない。
「さあ、さして思い当たる事がありませんが。」
いったい何の用だったのだろうか。ふと頭をよぎるが今はそれどころではないはずだ。
「そうか、なら良いが・・・。」
そう言う丸岡警部を後にして私は参事官室を後にした。
公務員の性というべきか、帰りの時間帯は結構エレベーターが混む。夕方の一定の時間帯は5分以上またされたあげくに満員ということも珍しくはない。
私の居る参事官室は6階にある。階段で下りることにした。
1階につくとやっぱりというか、彼女はその細い腰に両手を当て仁王立ちである。自分の上司を自慢するわけでは無いが、彼女のこういった仕草は様になる。成る程、どこぞの国の代議士に求婚されるわけである。
「遅い!」
私を見るなりそう言った。もっとも私は言われ慣れてるので気にもとめない。いちいち気にしていたら、彼女の部下はつとまらないであろう。
こういった場合の彼女は絶対者である事を承知しているので、逆らうだけ無駄である。
私はその姿を正面に見ながら頭をかき言う。
「すみません警視。」
「もう、何でこんな宇宙で一番の良い女を待たせるわけ!ペナルティは楽しみにしてなさい。」
『口を開かなければそうでしょうね。』とは、もちろん声にも顔にも出さない。それより、ペナルティとは何であろう?
気になる。
そこに警備部参事官室の岸本警部補がやってきた。私と涼子は密かにレオコンと呼んでいるが、これでもれっきとしたキャリア組である。年齢も当然私よりは若い。
「泉田さーん、夕べはごちそうさまでした。」
唐突にお辞儀をしながら言った。
キャリア様にお辞儀をされて恐縮だが、私には何のことかわからない。全く覚えがないのである。しかも、ノンキャリの分際でキャリアに奢れるわけがない。涼子だけは例外であるが、あれは私にたかっているだけである。
「いったい何のことだ?」
覚えが無いので少し訝しげに言った。
「いやだなあ、夕べ私たちに食事を奢ってくれたじゃないですか。」
あいかわら岸本はニコニコしながらそう続けた。
私たち?数人分の食事代を支払った事になっているということか。これは新しい企みであろうか。どうも参事官室に配属になって以来、私は疑い深くなっているようである。
私はさらに訝しげな表情になっていたようだ。
「そんな顔してどうしたんですか、泉田さーん。」
レオコンにそう言われても、覚えがないのでしかたがない。
そこへ、それまで黙って聞いていた涼子が話に加わった。
「ちょっとまって。私たちって・・・お由紀も一緒だったの?」
半信半疑のような表情で言った。
「あ、ご存じだったんですか。室町警視も一緒でしたよ。」
レオコンは勝ち誇ったように言い切った。
嘘を付くな嘘を!昨日は風邪気味であったこともあり、参事官室を定時ちょっと過ぎに出た後は、真っ直ぐ寮へ帰ったはずである。
ここまで考えて不味いことに気が付いた・・・アリバイが無い・・・。
「へー、泉田クンは上司に対する忠誠心が無いんだ。減点1ね。」
減点が累積されたらどういった事になるのか是非に知りたいところである。それより、何故、涼子が室町警視と私が食事しただけで不機嫌になるのか、その理由はこうである。
-学生時代から二人はライバルであり大変に仲が悪い-
そのため、私は度々被害者となるわけであるが、今回の件は濡れ衣である。どのような企みであろうと身の潔白を図らなければならない。
「誤解です。」
「誤解かどうかは本人に聞いてみればいいわ。」
そう言うと、彼女は、先ほどから涼子に見とれているレオコンに向かって言う。
「とっとと呼んでこーい。」
「はいー。」
レオコンは文字通り身をひるがえし、10階にある室町警視の参事官室に向かった。
涼子はといえば、不機嫌そのものといった様子で腕を組み、帰宅していく警視庁職員に向かって、鋭いまなざしを向けている。
まるで、地獄の門番である。
私は恐る恐る声をかけた。
「警視、先ほども申し上げましたように、誤解です。もしくは、何らかの企みにはめられたのかと。」
事実である。アリバイが無いのが気にはなるが。
「もちろん、私もそう思っているわ。その企みとやらをハッキリさせる為に、お由紀に来てもらうの。」
「それより今日はどこへ何の為に行かれるのですか?」
「・・・ちょっとね。」
そこへレオコンと共に室町警視がやって来た。
室町警視も我が上司も共に有能な美女という点ではなんらかわりがない。警視庁の奇跡とよく言われる所以である。
しかし性格では正反対と行っても良い。超常識と超非常識、や水と油などと言い表される。
私はどちらとも進んでお近づきになりたくは無いのであるが、上司と部下という関係上そうもいかない。
たまの休日にも買い物や娯楽につきあわされること多々である。
何度も言うようだが、私は無事に定年を迎えたい。
室町警視が来たことを認めると、さらに鋭いまなざしを向ける。
「おーお、泥棒猫がすました顔して、よくもこれたわね。」
気分を害する言葉をいきなり言うかなぁ・・・。
「いきなり人を呼びつけといて、何よ!その言いぐさは。」
「良くお聞き。泉田クンは私の付属物なの。それに手をかけるとは、私に手をかけるのと同じなの!さあ、何を企んでるか白状おし!」
また新しい肩書きが加わった。
肩書きの数だけだと、私は世界一になりそうである。
私を驚かせたのは次の言葉であった。
「あら?何のことかしら。それより、夕べはご馳走様。泉田警部補。」
ちがう。何かの間違いだ。
せっかく誤解を解く為に室町警視にきてもらったのに、レオコンは何を伝えたのだろう。
「ご・・・」
私が誤解を解こうとする間もなく、涼子はハイヒールの音をたて、玄関を出て行った。
そして振り向きもせずに言う。
「泉田クン!減点1万!」
まて、減点が1万を超えると、私はどうなるのだ。
その事を確かめる為、私は慌てて追いかけた。
涼子は玄関を出てすぐのところで立ち止まっていた。
門の方をじっと見ている。様子がおかしい。
「泉田クンって双子?三つ子?」
「いえ、違います。」
「じゃあ、あれは誰?」
涼子が門の方を見ながら言った。
ようやく私も彼女と視線を同じくした。そして、固まった。
驚きのあまり、いつのまにか岸本が後ろに居たことも気が付かなかった。
「あれえ?泉田さんがふたりいる。」
こうして、またも変な事件に巻き込まれたのである。