うちに帰るまでが遠足です






 トンネルのように道にかぶさっていた木々が突然消え、視界が広くなった。窓から外の風景を眺めていた星史郎は、車を停めるよう促した。道の端に車を停め、エンジンを切る。昴流の慣れない手つきを見守っていた星史郎は、頷くと、車のドアを開けて外へ出た。後を追って車を降りた昴流は、星史郎の傍に立つと、その視線の先を追った。目にした光景に、思わず息を呑む。
 漆黒の夜空一面に、無数の星がきらめいている。

「都心からちょっと離れただけで、こんなに綺麗な星空が見えるんですね」
 星史郎の声に答えることも忘れ、昴流は星空に見入った。
「ほんと、素敵ね」
 二人に少し遅れて車を降りてきた北都も、弾んだ声をあげながら昴流の傍に立った。16歳の頃までは同じくらいの身長だった二人だが、18歳になった今は、昴流の方が少し背が高い。
 うっとりと星空を見上げていた北都が、ふいに思い出したように星史郎に声をかけた。
「……ところで星ちゃん」
「はい」
「ここ、どこ?」
 北都を振り返り、星史郎は笑顔で答えた。
「さあ」
「さあ、じゃないでしょ、さあじゃ! ここ知ってて連れて来たんじゃないの!?」
「いえ、どこだかさっぱり分かりません」
「何よそれ! もー、自信満々にナビするから、星ちゃんが知ってる場所だと思って安心してたのに! 何この山奥! しかも知らない場所って! もー何それ!」
「適当に言ってただけですよ。また来ようと思っても、簡単には辿り着けないでしょうね」
「そこは自信満々に言うトコじゃない!」
 北都の怒声が暗い山道に響き渡る。平然と受け流す星史郎の傍から、昴流はおずおずと口を挟んだ。
「北都ちゃん、あまり大きな声を出すと周りにご迷惑が」
「かからないわよ! 誰がいるっての周りに!! この山奥で!! 道沿いに一軒も家なんてないわよ!!」
 テンポよく畳み掛けながら、北都は今来た道を指さした。両側に背の高い木々が並ぶ道は、緩やかにカーブを描いている。外灯さえもないその道の先は、完全に夜の闇と一体となっていた。
「大体、今日のドライブは昴流の免許合格のお祝いと運転練習を兼ねて、ってことだったじゃない。初心者にこんなとこまで運転させて、どういうつもりなの」
 肩をすくめた昴流から星史郎に視線をうつし、北都は続けた。北都は昴流より三ヶ月ほど早く運転免許を取得している。教習所に通い始めた時期は一緒だったが、昴流の方が遅れたのは、仕事のために時間がなかなかとれなかったためだった。星史郎は昴流の肩を抱きながら微笑んだ。
「すみません。一生懸命運転している昴流くんがあまりにも素敵だったので、もっと見たいなと思っているうちに、ついつい遠くまで」
「せ、星史郎さん!」
「星ちゃん、それカノジョの台詞」
「それに、このままあてのない旅に出てみるのも悪くないかなあ、と」
「それは二人っきりのときにしてちょうだい。あ、ついでに言っとくけど、お姉ちゃんは駆け落ちは認めませんからね。昴流が欲しかったら、堂々と本家の正面玄関からいらっしゃい。おばあちゃまもいつでも受けて立つそうよ」
「北都ちゃん!」
「直接対決ですか。ちょっと怖いですね」
 冗談というわけでもなさそうな、深刻な口調で呟くと、星史郎は昴流の顔を覗き込んだ。
「確かに、僕の配慮が足りませんでしたね。長い時間運転させてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ、大丈夫です。疲れてなんてないですから」
「本当に?」
「はい」
 念を押す星史郎に、昴流は笑顔で頷いた。確かに長い時間運転していたのだが、疲労はあまり感じなかった。山奥の道とはいえきちんと舗装されているし、他に車はない。夜だというのは難点だが、運転練習には適していた。北都は怒っているが、星史郎は本当はそれを知っていてこの道を選んでくれたのではないか、と昴流は思っている。とくに根拠はないのだが。
「それに、とても楽しかったです。ありがとうございます。北都ちゃんも、練習付き合ってくれて、ありがと」
 二人に笑みを向けながら昴流は言った。北都は軽く息をつくと、昴流の肩をポンと叩いた。
「おつかれ。運転、上手だったよ。ね、星ちゃん」
「ええ、心配いりませんね」
 二人の言葉が、今の昴流にとっては最高の「お祝い」だった。



 帰り道は北都が助手席に座ることになった。運転を替わろうか、と言ってくれたのだが、昴流は断った。疲れてはいないし、嬉しかったのだ。運転そのものというより、大好きな二人のためにできることがある、ということが。たとえ、ささやかなことではあっても。
 ダッシュボードを探っていた北都がふと手を止めた。
「星ちゃん、地図ないって言ってなかった?」
「言いました」
「これ」
 北都は後部座席を向くと、ダッシュボードから引っ張り出したものを星史郎の眼前に掲げた。『東京都ロードマップ』の文字がくっきりと書かれている。
「あるじゃない地図!」
「ありましたねえ」
「もー、ホントは知ってて黙ってたんでしょ。……ま、これで帰り道は大丈夫ね。昴流、ナビはお姉ちゃんに任せなさい」
 自信たっぷりにそう言ってぱらぱらと地図をめくっていた北都は、不意に何かに思い至ったようにその動きを止めた。どうしたの、と昴流は声をかけたが、北都は答えない。後ろから星史郎が言った。
「北都ちゃん、現在地が分からないのでは、地図があっても使えないんじゃないですか」
 あ、と声をあげたのは昴流で、北都は地図を広げたまま黙り込んでいたが、やがて、ぱたんと勢いよく地図を閉じると、明るい声で言った。
「道沿いに走っていけばどこか大通りに出るでしょ。そのあと考えよ」
「そうですね」
 星史郎は苦笑を交えて言った。北都は、運転席で小さく吹き出した昴流を軽く小突いた。
「こら、笑ってないでエンジンかけて。とりあえず、来た道戻るわよ」
「わかった」
 頷いてキーを回す。振動とともに車が動き出す。都心まで一時間。

 楽しい休日は、まだ終わらない。




2009.6.13