ロイヤルストレートフラッシュ

 マジシャンのように優雅でリズミカルな手つきで、涼子がカードを切っている。その様子を見ながら、泉田はため息混じりの声で問い掛けた。
「……警視」
「なに」
「そろそろ寝ませんか」
「いや。まだ眠くないもの」
「そうは仰いますが、もう夜中の二時ですよ」
 泉田は言いながら壁の時計を見上げた。正確には午前一時五十五分。ビクトリアから戻ったあと警察の事情聴取を受け、ようやく解放された時には午前一時を過ぎていた。捜査はこれで終了ではなく、また明日(実は今日だが)続きを、ということになってホテルへ引き上げてきたのだから、あまり夜更かしはできない――はず、なのだが。
 強敵を討ち取った涼子は、まだ神経が昂ぶっているのか眠れないらしく、泉田を部屋に呼び、果たせなかったポーカー対決をやろうともちかけたのだった。

 そして――現在のところ、泉田は六戦六敗中である。

 運とハッタリ、どちらも自分のほうが強いのだから負けるわけがない。彼女自身がそう豪語していたのだが、やはり正しかったようだ。大体、あんな事件に巻き込まれながら、毎度毎度生きて帰れるということ自体、そのことをよく証明しているじゃないか。
 そういうわけで、勝つことはもう諦めているのだが、となると勝てない勝負を続けさせられるのは正直ちょっと――いや、かなり疲れてしまう。涼子は疲れてもおらず眠れないのしれないが、泉田は疲れ切っていた。女性より先に疲れるとは情けない、と思わないでもないが、相手が涼子だ。仕方がない。

「泉田クン」
 涼子の声に我に返ると、目の前にカードが五枚、すでに並べられていた。どうせまたろくなカードは来ていないだろう。先程からいっそ気持ち良いほどの負けっぷりなので、涼子がイカサマをしているのではないかと、カードを配る手元をよく見ていたのだが、疑わしいところは見当たらなかった。
「あ、そうだ」
 カードを手に取ろうとしたとき、涼子がふいに声をあげた。
「昨日言った賭け、今やろう」
「賭け?」
「昨日もやりかけたじゃない、ポーカー。あたしが勝ったら、あたしの言うことを聞くの」
「……で、私が負けたら、私が言うことを聞くんでしたね」
「そうそう」
 楽しげに肩を揺らして涼子が笑う。何を要求されるか知らないが、勝敗なんて決まっているじゃないか。それならわざわざ賭けなどしなくても、と一瞬思ったものの、逆らう気はとうになくなっていた。

 ――それに、やはり今回の事件で最も働いたのは彼女だったのだ。出来る範囲でなら、彼女の我侭を聞いてもいい。何故かそんな気分さえし始めている。そんな自分が、泉田には可笑しかった。

「それじゃ始めようか。あたしは交換なしね」
 五枚のカードを確認して、涼子が余裕たっぷりに微笑む。泉田も溜息をつきながら自分のカードを確認し、――思わず二、三度目を瞬かせた。涼子が訝しげな表情になる。
「どうしたの?」
「いえ、何でも……それじゃ、私も交換なしで」
「お? 余裕ね、面白いじゃない」
 涼子がニヤリと唇を吊り上げる。テーブル越しに視線を交わし、どちらともなくカードを広げた。涼子のカードはキングと6のフルハウス。そして泉田は、スペードの10、ジャック、クイーン、キング、エース。

 ――ロイヤルストレートフラッシュ。

「……嘘ぉ」
 涼子が信じられないと言った様子で目をみはってみせた。大きく溜息をついて、ソファに深く背を預ける。
「やだ、あたしだってそんなの出したことないのに。ズルイよ」
「ズルイ、と言われても。あなたがカードを配ったんじゃありませんか」
「……そうね」
 膨れっ面でしぶしぶ頷く涼子につい笑みを誘われながら、今度は泉田がカードを切った。まさか最強のカードが回ってくるなんて、彼自身とて予想しなかったことだ。賭けには勝ったわけだが、どこか残念な気がするのは何故だろう。
「とにかく、私の勝ちですよね」
「そうね。でも、泉田クンが勝った時のことなんて何も決めてないし」
「それは不公平ですよ」
 泉田が思わず反論すると、涼子はふいに意味ありげな笑みを口元に浮かべた。
「……へえ、じゃあ君もあたしに聞いて欲しいことがあるの?」
「え……? いえ、あの……」
「なんだ、言ってくれれば良かったのに」
 ニヤニヤと笑いながら泉田のそばへやってくると、涼子は唐突にすとんと腰を下ろした。――ソファではなく、彼の膝の上に。
「け、警視っ……!」
 思わず上ずった声が漏れる。額が触れるほど顔を寄せて、涼子が正面から彼を見つめる。この上なく魅惑的に微笑みながら。
「さ、遠慮しないで言ってみて。可愛い臣下の願いだもの、何だって叶えてあげるわ」
 甘く、それでいて澄んだ声が耳をくすぐる。しなやかな指が彼の前髪をそっとかきあげた。触れられた感覚は、すぐに皮膚から消えるようでいて、その内側までゆっくりと伝わって行く。

 ――まずい……。

 何がまずいのかよく分からないが、泉田は咄嗟にそう思った。何か言わなくては。
「あ、あの……」
「なあに?」
 涼子がにっこりと微笑む。表面上は無邪気に見えるが、実は邪気の塊だ。泉田は目を閉じた。

「……すみませんが、下りてくれませんか」

 涼子が一瞬きょとんと目をみはり、それから小さく溜息をついた。
「なんだ、そんなことでいいの」
「……え」
 途端に膝の上がすっと軽くなった。泉田が我に返ったとき、涼子はすでに元の位置、彼の向かいに再び腰を下ろしていた。
「そんじゃ、もう一戦行こうか」
「え……? 今ので終わりですか!? ちょっと待ってくださいよ!」
「だーめー。やり直しは認めません」
 にこやかに微笑みながら再びカードを切り始めた涼子をよそに、泉田はこの夜最大級の深い深い溜息をついた。スペードのロイヤルストレートフラッシュを出したというのにこの有様だ。

 ――所詮、俺の勝負運なんてこんなもんか。

 この先何があっても断じてギャンブルに手は出さないことを固く誓いつつ、泉田は新たなカードを手に取った。