overtime 夕方五時にベルが鳴る。
「さー、終わった、終わった。帰りましょ、泉田君」
待ちかねていた子供のように伸び上がって席を立ったのは、麗しの我が上司だ。机の上の書類を適当に脇に避けて、気が付けばもうバックを肩にかけている。雑誌のグラビアを切り取った、いやそんな生半可なモデル以上に美しく魅力的な立ち姿なのだが……
「お言葉ですが警視、私の持っている書類がご覧になれませんか」
「わかってるわよ。だから、そんなもの放っといて帰ろう、って言ってるの」
自分の言葉を聞いて彼女は、途端にその唇を尖らせた。
明眸皓歯、頭脳明晰、そして未曾有のトラブルメーカー、「ドラよけお涼」の側にいれば、常人には想像できない苦労を味わうことが出来る。突然、化け物が降ってくるのは常のこと。本来、どんなに凶悪でも人間と相対する職業のはずなのに、B級ホラーにも出演しないような生物たちと戦わされる羽目になる。それでも、事件の最中はまだいいのだ。彼女自身も事件を解決するために奔走してくれるから(たとえ結果的にトラブルを増やすことになっても)。バケモノ以上に恐ろしいのは、事後処理の書類の山。我らが女王は機関銃を握れても、ペンは持ち上げられないらしい。一文字たりとも事実を書くことの出来ない報告書を抱えて、下人は溜め息をつくしかない。
給料以上に働いているんじゃないか、俺?
ペンをかじりながら呟いたところで書類は進まない。なけなしのボキャブラリーを使ったそれを仕上げて、承認を貰おうと参事官室に入るのが大抵この時間。
「まったく、ホントに君は真面目よね。報告書なんて適当でいいのよ。ハゲオヤジ共がまともに読むわけないんだから。どうせハンコ押して、机の上に放り出すだけよ」
バッグを振り回して言う部屋の主の言葉に、思わず考え込んでしまう。俺は、一体誰の為に、こんなに苦労しているのだろうか、と。
怒りよりも、諦めでつきたくなる溜め息を押さえて、ドアの前に立ちふさがる。
「明日が期限の書類がこれだけあるんです。ハゲオヤジでない警視殿はちゃんと目を通してくださるんですよね」
表面上の低姿勢に、彼女は腕を組んでこちらを睨みつける。
「あたしに残業しろって言うわけ?」
「ハンコを押して、放り出すだけで構いませんから」
「君、随分と言うようになったわね」
自分の返答に女王様はご機嫌斜めだ。もちろん、普段はこんなに口答えしない。するだけ無駄なのはわかっているし、したところで倍にしてやり返されるのがわかっている。
けれども今日は特別だ。昨日も一昨日も一昨々日も、何のかのと理由をつけて逃げられた。悪いことに自分も一緒になって帰ってしまっていたから、それを戒める意味も込めて、なおさら引くわけにいかない。 「何度でも言いますが、明日までに提出なんです。しかも、警視の承認を得ないといけないものばかり」 「オヤジ共の決めた期限なんて守る必要ないわよ」
「私は、警視と違って自分の首が惜しいんです」 「その言い方ムカツクわね。それじゃあ、あたしが仕事しないと君が首になるみたいじゃないの」 それはまったくもって事実である。 けれども、俺が同意する前に、彼女は自分で言っておきながらふてくされた。 滅多に見られない寄せられた眉を、不謹慎にも可愛いと思ってしまう。 目の端に写る時計は5時半。
おもわず、ほだされそうになっていると、再び彼女の表情が変わった。
「待遇差別だわ! 訴えてやんなさい。絶対に勝訴して、退職金がわりに賠償金をたっぷり取ってやるから」 女王様はハイヒールで絨毯を踏みしめて、警察機構の上層部に対して闘志を燃やしている。この調子では、法廷に立ったときはその床を踏み抜くだろう。
「そこまでして戴くよりも、承認を戴いた方が嬉しいです」
「つまんないわね」
オーラを収めて彼女が鞄を傍らに放った。優雅な動きで先ほど離れた椅子に腰を落ち着ける。
それを了解と取って、持っていた書類を一部、彼女の前に差し出した。 「つまんないならさっさと終わらせてください。それまで、今日は帰すわけにいきませんから」
座り直してペンを取る彼女の手が止まった。
「……そういうセリフは、もっと違う時に言うもんじゃない?」
「は?」
書類に向かって俯いている彼女の手が震えた時には、すでに相づちは打ってしまっている。
わかったときにはもう遅い。彼女の顔が勢いよくあげられ、ペンを鼻先に突きつけられた。 「もう! 今日は君のおごりよ!」
「何でですか!」
「あたしをタダ働きさせる気!? この残業分、しっかり君に払って貰うわよ!」
突如、怒り狂って書類を片付ける様子からすると、今度こそ本気で機嫌を損ねてしまったようだ。
俺だって残業するんだが。
それを口にすればさらに怒りをかうのもわかったので、その罰を甘んじて受けることにした。end
いじめっ子……。
しかも確信犯。なんてタチの悪い奴だ。おっかしいなー。当初の予定では、もっと純情な人になるはずだったのよ。それがどういうわけか、こうなっとるのよ……。世の中はフシギー。 |
【from negico】
貢がれ小説第二弾です。わーい、サイト開設して良かったー。
和久結さんはゲーム「耽美夢想マイネリーベ」ファンサイトの管理人なんですが、
十年来の付き合いなのでワガママ言って書いて頂きました(最悪)。ありがとう!
ああでも!見て、このメロメロっぷり!いやーん!
あんたってばもーしょうがない男ね、ていうか!(落ちつけ自分)
わりと原作に近いテンションで、しかしさりげなくラブリーです。ほわー。
そういえば原作読み返してみても、泉田が涼子を魅力的だと感じるらしい瞬間って
八割ぐらいの確率で「怒った顔」か「闘志に溢れた顔」なんですよねー。
(その瞬間、表情の描写がすんげー念入りになる……ような気が。気のせい?)
今回ステキ小説を書いてくださった和久結さんのサイトはこちら。→tenderly
sigh
リンクページからも行けますが、是非遊びに行ってみてください。
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