Noel
薄紫の夕闇の中、街並みはまるでアクセサリーショップのショウウィンドウのようだ。
「去年はヴィトン貰ったんだー」
「あっそ、どーせあたしゃ今年も一人よ。……貝塚さんはどうすんの?」
「んー、クリスマスは何も予定ないんですけどお、30日から香港行くんですう」
「また?この前の連休の時も行ったんでしょ。よく飽きないわねえ。……しかも一人で?」
「駄目ですかぁ?」
さとみや事務の女性職員達に、たまには女同士でお茶でもしませんか、と誘われ、ちょうど泉田との予定が仕事でキャンセルになってしまったこともあって、今こうして表参道を眺めながらケーキをつついている。きらびやかなイルミネーションに足を止めて見惚れるカップルや、見向きもせずに歩み去るサラリーマン。
「で、警視は24日どうされるんですか?」
ふいに話を向けられて顔を上げると、三人が興味津々といった表情で涼子の顔を覗き込んでいた。
「もちろん、泉田警部補とご一緒なんですよねえ?」
「プレゼントはもう買われたんですか?やっぱ一流ブランドものとか?」
「レストランの予約とかしちゃってたり?」
――女の子はどうして他人の恋愛事情をもこんなにも面白がるんだろう。自身もそうした「女の子」のうちに入ることは棚に上げて、涼子はちょっと肩をすくめて笑った。
「……特には何も予定してないけど」
涼子の答えに、えー、とたちまち三方から抗議の声があがった。
「どうしてですか、勿体無いっ」
「せっかくクリスマスなのにー」
「仏教徒なんですかあ?」
ピントのずれた質問を発したさとみの額を軽く弾いて、カフェラテをすする。
「だって、泉田クン昨日から応援の仕事入っちゃったし。仕方ないでしょ」
「あー。でも、仕事が早く終わるかもしれないじゃないですか」
「さあね、どうかしら」
クリスマスかあ。昨日から一課の応援に呼ばれた恋人のことを考える。クリスマスイヴまであと一週間というときに駆り出されることになった泉田は、年内には終わらないかもしれないと言い、申し訳なさそうな表情をしていた。
とは言え涼子自身は、世間で言うところの「ロマンティックなクリスマス」への憧れはあまりない。だから、クリスマスに一緒にいられないことは、その時はあまり気にならなかった。けれど。
ちょうど窓の外を、腕を組んだカップルが通りすぎた。イルミネーションに目を細め、幸せそうに微笑み合う。
――憧れなんてないけど。でも……ちょっとやってみたかったかも。
あたしも結構俗っぽいな。なんとなく可笑しくなって、カフェラテをもう一口すすって口元の笑みをごまかした。
買い物をしながら帰るという二人と別れ、涼子とさとみは通り沿いのショウウィンドウを冷やかしながら駅まで歩いた。
「何かプレゼントお願いしたりしなかったんですかぁ?」
「うーん……あたし欲しいものは大体自分で買っちゃうから、あんまり人から貰いたいモノってないのよね」
「ああ、そっかあ」
いったん頷いたさとみは、何やら考え込むような表情をした。
「よく考えたら、警視の方が階級も勿論上だし、収入だって上なんですよねえ。それ考えたら泉田警部補って結構苦労してるのかも」
「なんで?」
「だって、プレゼントなんて生半可なものあげられないって思っちゃうかも。いい物見慣れてるし着なれてるから、安物なんかあげたりしたら笑われるんじゃないかって思ってても不思議じゃないですよお?」
「えー、そうかな?」
まあ確かに、服もアクセサリーも大好きだからたくさん持ってるけど。でも、あたしはそんなこと気にしないのに。――今日は白いコートの襟元に留まっているフクロウのブローチを、無意識のうちに指でそっと撫でる。さとみがそれを見やって、微笑みながら続けた。
「まあ一般論なんで、泉田警部補がどう思ってるかはわかんないですけどお。でも、そゆこと気にする男の人ってちょっと可愛くないですかあ?」
「……うん、そう言われるとそうかも」
中学生料金で映画館に入れそうな容姿のさとみの口から、酸いも甘いも噛み分けた女のような台詞を聞くのはどこかアンバランスで、けれど微笑ましかった。肩をすくめて笑い、あらためてさとみに視線を向ける。
「あなたは?誰かに買って欲しいものないの?」
涼子の問いかけに、さとみは首をかしげて応じた。
「うーん。わたしも、欲しいものって大抵自分で買っちゃうんですよねえ」
ショウウィンドウに飾られていた30万円のブレスレットにちらりと視線をうつす。
「わたし、ブランドものより安くて可愛いものが好きなんですよお。3000円以下の」
そう言ってにっこり笑ったさとみの耳元で、香港で買ってきたという可愛らしいピアスが揺れた。
「――というわけですので、アパート周辺への聞きこみは慎重に行って下さい。以上です」
声が言い終えるのと同時にガタガタという音がして、室内から人が溢れ出してくる。その中に目当ての人物を発見して、涼子は軽く手を上げて合図した。速度を上げて歩み寄ってきたその人物に笑いかける。
「忙しそうね」
「ええ、まあ」
答えてから、泉田はふっと表情を曇らせた。
「すみません、24日はやっぱり……」
イヴは四日後に迫っていた。やはり年内の解決は無理らしい。
「それは別にいいって言ったでしょ。まあでも出来るだけ早く終わらせてよ。君がいないとあたしの仕事が滞ってしょうがないわ」
「始末書とか?」
「そうそう」
泉田と逆に涼子は最近は暇だったので、実際には始末書はない。知っているのか知らないのか判断はつかないが、苦笑混じりの声は耳に心地よかった。
「で、犯人は捕まりそう?」
「まあ、近日中には」
「他のヤツらなんか出し抜いちゃいなさいよ」
「そうはいきませんよ、私はあくまで手伝いですし」
「駄目。絶対君が逮捕して。あたしを一人で放っとくんだから、そのくらいの成果はあげてもらわないと」
「……努力します」
またも苦笑した泉田を、廊下の向こうから呼ぶ声がした。それじゃ、と言い置いてコートを掴んで走り去る後ろ姿を見送りながら、ふと考える。
――泉田クンは何が欲しいのかしら?
どちらかと言えば、物に対する執着心は薄い。服や持ち物に対するこだわりは「使いやすければいい」という程度。そんな相手に何を贈ればいいというのか。東大の入試問題より難しいかも。大体、男にプレゼントなんて経験もそんなにないし。30代の男って、どういうのを貰うと嬉しいのかしら。
プレゼントしにくい相手、かあ。先日さとみと交わした会話を思い出した。
――泉田警部補って結構苦労してるのかも。
冗談じゃないわよ、苦労してるのはこっちだわ。溜息をつきながらも、一方で何を贈ろうかと迷うこと自体に心が浮き立つのを自覚して、涼子はそっと苦笑した。
クリスマスイヴは、雪は降らなかったもののこの冬一番の冷え込みになった。マンションに帰りついてすぐに暖房のスイッチを入れ、部屋が暖まるまではコートを着たままで、買ってきたシャンパンを冷蔵庫に入れる。それから、ダイニングテーブルにクロスを敷く。そこまで終えた頃に暖房が効いてきたので、ようやくコートを脱いで涼子は人心地ついた。
時計は午後10時をまわっていた。9時頃までは参事官室に残っていた。仕事があったわけではなく、泉田の仕事が終わるのを待っていたのだ。――一緒に過ごせないとは分かっていても、少しでも近くにいたかった。しかし、外に出ていてなかなか帰ってこなかったので、仕方なく家に帰ってきたのだ。
テーブルの上にバッグと一緒に置かれた紙袋を眺める。プレゼントのつもりだったが、渡しそびれてしまった。軽く溜息をついて、リビングのソファに転がる。
去年のイヴは、飛行機の中で過ごした。泉田と二人、二週間のフランス出張の帰り。サービスでシャンパンが振舞われ、冗談めかしてグラスを合わせたことを覚えている。あの頃はまだ、想いを伝えていなかった。一緒に過ごせることがとても嬉しくて、内心でははしゃいでいたことを彼は多分知らないだろう。
誰かと過ごすクリスマスは本当に久しぶりだった――相手が恋人に限らず。
幼い頃は毎年家族と一緒だったが、母が他界し、父が仕事で海外に移住してからはそれもなくなった。大学時代からこの時期になるとコンパやデートの誘いが毎日のようにあったが、面倒だったので全部断っていた。――周りの人間が聞いたら意外に思うかもしれないが、その頃からはほとんどのクリスマスを一人で過ごしていたのだ。
だから去年、久しぶりに誰かと過ごしたクリスマスは本当に楽しかった。特別なデートやプレゼントの贈り合いをしたわけではなかったけれど。それでも、ただ一緒にいられるというだけで嬉しかった。
――せっかくシャンパン買ってきたけど、今年は無駄になっちゃうかしら。
それならば一人で飲んでもいいし、泉田と飲むのであれば別の日でもいい。クリスマスに恋人と過ごすという図式にはこだわらないつもりだ。だけど。
ただ恋人と言うだけじゃなく、今の彼女にとって、一番身近で大切なひと。
――やっぱり、一緒に過ごしたかったな……。
どうしようもなく落ちこみそうになったので、気分を変えようとソファから起き上がり、なにげなくテレビのスイッチを入れた。夜のニュース番組が始まっており、政治関連の特集が終わった後で、アナウンサーが今日のニュースを矢継ぎ早に読み上げていた。
やっぱり一人でシャンパンを飲んでしまおうと思い、立ちあがってキッチンへ向かいかけたところで、耳に飛び込んできたそれらのニュースの断片が彼女の足を止めた。
「今入ってきた情報によりますと、警視庁は先程、今月10日に文京区で起こった殺人事件の容疑者を逮捕したということです。逮捕されたのは……」
思わず振り向いたが、もうニュースの内容は頭に入って来なかった。泉田が捜査に携わっていた事件だった。――逮捕された?本当に?ついさっき?
待っていれば良かった、と一瞬後悔したが、すぐに涼子は行動を起こした。コートとハンドバッグ、それにプレゼントが入った紙袋をつかんで飛び出す。
消し忘れたテレビでは、警視庁前からの中継が終わって天気予報が始まっていた。
「夜半から明日の朝にかけて、東京では晴れ間が広がる見込みです」
暗い廊下の奥に、細い光の筋が見える。参事官室のドアがわずかに開いていて、室内の明かりが漏れているのだ。中に誰かいる――多分、間違いなく、彼が。紙袋を抱えた右手に力がこもり、足がひとりでに速くなった。
ドアをそっと開くと、並んだデスクの一番奥で、泉田が長身を窮屈そうに折り曲げてデスクに突っ伏していた。涼子が入ってきたことに気付く様子はない。
「……泉田クン」
側へ寄って顔を覗き込み、そっと声をかける。返事の代わりに規則正しい寝息が聞こえた。涼子は肩をすくめ、労わる様にそっと泉田の髪を撫でた。それに気付いたのか、泉田がゆっくりと瞼を開く。涼子の姿を認め、驚いて起き上がる。
「……警視……?帰られたんじゃなかったんですか?」
「一旦は帰ったんだけど、犯人逮捕のニュース見たから戻ってきたの。……で、約束通り君が逮捕してくれた?」
「……いえ、残念ながら少し違うんですが。数人で行きましたから」
えー、と涼子は唇を尖らせた。
「何よもう。駄目じゃない、こういうときにちゃんと敵と差を広げておかないと」
「敵って誰ですか?」
「さあ。それより、もう泉田クンの仕事終わり?」
「ええ、手伝ってただけですし。聴取とか調書取りは向こうに任せて休んでたんですが……今何時ですか」
「んー、もうすぐ12時。駄目じゃない、こんなとこでうたた寝なんかしたら風邪引くわよ」
平気ですよ、と答えようとして泉田は小さくくしゃみした。コートを羽織って寝ていたとは言え、気温がだいぶ下がっていたから無理もない。ほらね、と涼子が苦笑した。次いで、ふわりと温かいものが首を包む感触がして、泉田は首に手をやった。柔らかい布地の手触りが心地良い。
「そのコートに合わせて買ったんだけど、ちょうど良かったわね」
涼子は満足げに微笑んだ。――散々迷った末、結局ごくありきたりなマフラーを選んでしまい、初めてのクリスマスプレゼントとしては無難な結果に終わってしまったことが先程までは不満だったのだが、こうして見ると、これ以上のプレゼントはないように思えた。――ちょっと地味だけど、良く似合う。
「私にですか?」
「もっと気のきいたものを、とも思ってたんだけど」
「……いえ、充分です。ありがとうございます」
泉田は微笑み、ふいに立ちあがりコートのポケットに手を突っ込んだ。掌に収まる程度の小さな箱を取り出して、涼子に差し出す。
「どうぞ。お気に召すか分かりませんが」
「……え……?」
涼子は胸が高鳴るのを覚えた。まさか、プレゼントを用意してくれているなんて。忘れていたとまでは思わないけど、そんな暇ないと思ってたのに。
「この前、昼食をとりに出たときに買っておいたんです」
「開けていい?」
「是非」
赤いリボンを解き、箱の蓋をそっと持ち上げて息を呑む。
「……わ……」
現われたのは、小さなダイヤモンドの粒を花の形にあしらった、シルバーのネックレスだった。繊細で可憐なデザイン。声も出さずにじっと見入っていると、泉田の気遣わしげな声がした。
「……気に入りませんでしたか」
「ううん、違うの」
涼子は首を横に振った。箱からネックレスを取り出し、掌に乗せる。銀の鎖で連ねられた愛らしい花々。
ネックレスを掌の中できゅっと握り締める。頬が熱い。顔を上げると、泉田が正面から彼女を見つめている。溢れてくる想いを言葉にするためには、一度呼吸を整える必要があった。
「――泉田クン」
「はい」
素直にこの言葉を言うのは、随分久しぶりな気がするわ。
「すっごく嬉しい。ありがとう」
その言葉にふわりと柔らかく微笑むと、泉田は静かに涼子にキスをした。涼子がしなやかな腕を伸ばして泉田の首に回す。互いの体温を確かめ合う様に時折額を寄せて見つめ合いながら、何度も唇を重ねた。
しばらくして泉田から身体を離すと、涼子はまた掌の中のネックレスを見つめた。それから留め具をはずして、ネックレスを首に回してみる。細い鎖と鎖骨が触れ合う感覚が心地よかった。
「こういう可愛い感じのものって、自分ではあまり買ったことないんだけど。似合う?」
「ええ、とても」
「大事にするわ」
「そうして下さい。……あのブローチよりはマシなプレゼントだと思うので」
覚えてたのね。涼子は微笑んだ。彼に初めて贈られたプレゼントは、今も彼女の左胸に寄り添っている。ブローチそのものが欲しかったわけではなく「買ってもらう」ことに憧れてねだったものだった。安物ではあるが、ついさっきまで唯一の宝物だった。今のネックレスは二つ目。
でもね、と内心で泉田に語りかける。値段が重要なわけじゃなくて。
プレゼントを喜んでもらえたことにほっとしたのか、泉田は涼子自身よりも嬉しそうに微笑んだ。その笑顔がたまらなく愛しかった。もう一度、今度は泉田の背中に腕をまわして強く抱き締める。
――欲しいものが無かったわけじゃない。
可愛いネックレスも勿論、すごく素敵なプレゼントだと思うけど。
でも本当に欲しかったのは、服だとかアクセサリーだとか、そんなものじゃなくて。――お金で買えるようなものじゃなくて。
「お願いがあるの」
コートの胸元に顔を埋めたまま言った。髪を撫でる掌があたたかい。
「何でしょう」
今度は、顔を見ながら言うことはできなかった。――さすがに照れ臭くて。
「……今日は、ずっと一緒にいて」
いつしか日付は替わり、25日の午前〇時過ぎになっていた。ちらりと時計を見てそれを確認し、泉田は涼子を抱く腕に力を込めた。
――What I have really wanted for Christmas
is you.