キャンディ・ポップ・イン・ラヴ

「これ、どうぞ」
 それだけ言って、泉田クンは、綺麗にリボンが巻かれた小さな包みをあたしのデスクに乗せた。
「どうしたの、コレ? ……あ、そっか」
 聞いてから、今日が何の日だったかを思い出した。包みを手に取り、「あけていい?」と尋ねるあたしに、彼が頷く。リボンをほどき、丁寧に包装紙をはがしながら、あたしの胸はいつになく高鳴っていた。
 箱の中に入っていたのは、小さな花飾りがアクセントになっている、掌ほどの銀色の籠。さらにその中に、色とりどりのキャンディが詰められている。
「わ、かわいい!」
 思わず弾んだ声をあげたあたしを見て、泉田クンはほっとしたようだった。
「気に入っていただけましたか?」
「うん、合格」
「良かった。先月、チョコレートを下さったでしょう? それでまあ、お礼に」
「……ああ、アレね。おいしかったでしょ?」
 さも、たった今そのことを思い出したかのような口調で応じてみたけれど、キャンディの籠をデスクに置こうとした手が変にこわばって、カシャンと音を立てた。
「ええ、ありがとうございました」
 あたしの動揺に気づいた様子もなく、泉田クンは微笑した。一礼して執務室を出て行きかける後姿に、軽く呼吸を整えてから声をかける。
「今夜は空いてるのよね?」
「ええ、まあ」
「じゃ、夕飯どっか食べに行くわよ」
「いいですよ。店選びはお任せします」
 にこりと笑って頷くと、泉田クンはドアを閉じた。あたしはデスクに両足を投げ出し、軽くため息をついた。

 こんな風に夕食の約束をするのも、何だか当たり前のことのようになってきた。泉田クンはときどき「上司命令ですから」なんてニクマレグチを叩きやがるけど(まあ実際あたしがそう言って強引に連れ出したこともあるんだけど)、イヤな顔はされたことがない。人当たりはいいけど意外に頑固で、自分の意思ははっきり言う人だから、勤務時間外まであたしと過ごすことを嫌がってはいないのだと思う。それだけ親しくなれたことは、やっぱり嬉しい。
 嬉しいんだけど、でも。

 そこから先に進むには、どうしたらいいのかしら?

 先月のバレンタインのことを思い出す。あのチョコレートは、一ヶ月も前からあちこちの店を巡って、吟味に吟味を重ねて選び抜いた、言わば最終兵器だったのだけど。
 ――あれが“本命”だなんて、想像もしてないんだろうなあ。
 まあ、そこまでして選び抜いたチョコだったのに、結局いつもの調子で「ハイ、あげる。ありがたく受け取りなさい」なんて言っちゃったあたしにも問題があったかと思う。選ぶのに苦労したのよ、とか言って、恩を売るようなことはしたくなかったから、そんな言い回しになっちゃったんだけど、もうちょっとこう、シンプルかつストレートで、それなりに想いを伝えることのできる言葉があったかも知れないわね。でも、それも今になってから考えることのできることで、あの時は正直、渡すことだけで頭がいっぱいだった。
 でも、それにしても、ねえ。バレンタインに女からチョコレートを貰うのよ。“本命”かも知れない、なんて思ったりしないのかしら、あの男は。恋愛経験だってあるのに、女心に関するあの驚異的な鈍感さはホント謎だわ。
 キャンディの籠を手に取る。包装紙には、有名なスイーツショップのロゴが印刷されていた。普段の泉田クンなら行きそうにない店だ。どんな顔して、これを選んだんだろう。想像するうちに、口元が緩むのがわかった。

 ねえ。選んでるとき、どんなこと考えてた?

 チョコレートを選ぶのは、とても楽しかった。どんなチョコなら喜んでくれるのか、それだけで頭がいっぱいだった。わかる? 君のことばかり考えてたのよ。
 これを選ぶとき、君もそうだったのかしら。あたしのこと、考えてくれてたの?

 籠からキャンディをひとつ取り出し、包みを開いて口に入れる。フルーツの風味が混じった柔らかな甘みが広がった。目を閉じて味わううちに、その甘みが胸の中にまで優しく広がっていくように感じられた。
 これが単に“チョコレートのお礼”に過ぎないものだとしても、それはそれでいいか、と思った。
 泉田クンが、あたしのために選んでくれたものなのだから。



 黄昏の銀座を二人で歩く。あたしの右腕は、いつものように泉田クンの左腕に絡んでいる。微かにそよぐ風にも少しずつ暖かさが感じられるようになってきた。もうすぐ、春。
 今夜の目的地であるレストランへの道を辿りながら、あたしは無意識に歌を口ずさんでいた。気づいた泉田クンが、あたしの顔を覗き込んだ。
「どうなさったんですか?」
「ん?」
「何だか、今日はずいぶん機嫌がよさそうだな、と」
「まあね。キャンディおいしかったし」
 微笑みながらそう答えると、泉田クンは意外そうに目をみはった。驚いた顔、ちょっと可愛い。
「食べてみる?」
 コートのポケットからキャンディを取り出し、泉田クンに差し出す。少し戸惑いながらも彼はキャンディを受け取り、口に入れた。
「おいしいでしょ?」
「おいしいですけど……キャンディって普通こんなものじゃないですか?」
「いいのよ、あたしにはおいしかったんだから」
 怪訝な顔の泉田クンにもう一度笑みを返し、再び歩き出す。歩きながらも泉田クンは首をかしげていたが、やがて口を開いた。
「そんなに喜んで下さるなら、また買ってきましょうか?」
 あたしは足を止め、泉田クンの顔を見上げた。泉田クンもあたしを見つめている。優しい笑顔からは、何の下心も打算も読み取れなかった。
 しばらく見つめ合っているうちに、泉田クンの表情が笑みから戸惑いに変わってきた。あたしが何も言わないので、何だかバツが悪くなってきたようだ。そんな彼の顔を見つめたまま、絡めた腕に力を込め、満面の笑みを浮かべてみせた。
「ホント? じゃあ楽しみにしてるわ」
「え、ええ」
 絡めた腕を引っ張って、今度こそ目的地へ歩き出す。泉田クンの横顔を見上げながら、心の中でそっと囁きかける。

 あたしの胸を、甘く優しく溶かしていく気持ち。まるであのキャンディみたい。あたしをそんな気持ちにさせるのは、世界でたった一人、君だけなのよ。
 だからあたしも、君にとってそんな存在になりたい。とびきり甘くて可愛くて、何度だって味わいたくなる、世界でたった一つのキャンディ。

 いつか分からせてあげるから、覚悟していてね。

 風がそっと頬を撫でて行く。微かな暖かさを残して。
「春が来ますね」
 泉田クンの声がする。そこにも、同じ暖かさを感じる。
「そうね」
 腕を絡めたまま、その肩にそっと頬を寄せた。